抱擁
- つきんこ
- 3 日前
- 読了時間: 8分
ジョシュアとジルを大切に想っているクライヴ。
※
エルウィン大公の統治下においては慈愛と伝統の国だと奏でられていたロザリア公国—直近まではザンブレク皇国領として神皇后であったアナベラによる圧政により民の生活も苦しくベアラーたちの命も投げ捨てられていた現実を5年前に目の辺りにしてきた第一王子クライヴ・ロズフィールドは青空が広がっていれば人3人にとって強い日差しを避けるのにちょうど良いであろう大岩の陰にて第二王子であり5つ下の彼の実弟であるジョシュア・ロズフィールドと、和平の証として彼が9つ彼女は6つの時に出会った幼馴染のジル・ワーリックをその両腕に力強く引き寄せ抱きしめている。
ウォールード王国領―前身であったヴェルダーマルク王国を墜とした後は王制であったこの国でたったひとりだった王がオーディンの力を“器”として彼に明け渡し終えると消滅し。彼の王城にそびえ立っていたマザークリスタルドレイクスパインの破壊に成功しそして遠い先には本当にあったのだろうかと人々の記憶から消え去るのであろう—アルケーの空とウォールード王国の民が呼称し青空が覆われ変わり果てたこのヴァリスゼア大陸においてどこからでも見える宙に浮いたままの文明時代から備わっていたクリスタルの遺産はひとつのみとなった。
あそこへ辿り着くまでに残された僅かな間にこの地で為すべきことをバルムンク監獄においてたったひとり生き残ったベアラーの少女を石の剣の隊長であるドリスと共に救出に成功し。少女をドリスに任せ先に逃れさせる為に監獄に煮えたぎる闘争心も押し込められていたのであろう軍用魔獣クーザ―を倒した後だった。
エイストラから鉱山道を抜けてこの監獄の前にそびえ立つ要塞はベアラーたちの血塗られた歴史の真実を証する書物が付近に保管されていたことに加え。
オーク族を治め平定させたと噂はされている国ではあるが実際それは兵力に代わるものとして、そしてかつてのタイタンのドミナントであったフーゴが難民街で行なっていたのと同じ様に。ベアラーたち迫害と見せしめの為にこの闘技場も兼ねた場所で血を流し続けていたのだと身を染みて感じていた。
ドリスと少女が反対方向へと去って良かった。エッダが住んでいたエイストラ村はエーテル溜まりに覆われてしまっているがドリスも保護した少女もベアラーである以上少しの間なら耐えられる。そしてあそこで人の姿が消えてからヌシとして居座っていたゴブリン族は先に討伐しておいた。一気に抜けてしまえばその先のリークマル湿地で他の石の剣のメンバーと合流出来るはずだ。
何が王だと、ただこのヴァリスゼアを混沌に陥れていただけだったと息を引き取る前に真実を知ったウォールード王国の兵士とはエイストラ村へと連なる鉱山で出会った。
その男から家族共に眠りたいと形見を受け取り。こと切れた男の願い通り、バルナバスを信頼していた間は美しくドレイクスパインも見えていたであろう帰らずの森にある両親の墓へ共に眠らせてやった。
他の石の剣のメンバーからネクタールを通して報告を受けていたバイグルと呼ばれる凶悪なクアール族が墓に気づいて荒らさないようにしっかりと討伐を果たし、俺たちも戻ろうと剣を収めようとした直後だった—
“それ”の気配にまだ牙や口元に血がべったりくっついたままだったトルガル再び唸り声を上げたのは。
空気が震えるような凄まじい気配に即座にジョシュアへアイコンタクトを送りジルの手を引き、トルガルがタッと連なり。この岩陰に隠れることにしたのだ。
それほど時間は経たない内にその巨体は姿を現した。視界に一瞬でも入るだけでそれが何なのかクライヴとジョシュアは理解した。ドレイクスパイン破壊へ向かう最中、兄弟ふたり。お互いを認識しそして決意を受け取りながら。兄と弟の、共闘はこれが初めてだった。
“ベヒーモス”。
魔物の中でも頂点に位置するその存在の中でも“それ”はさらに強大な存在だと兄も弟も戦ってきたからこそ、よく分かっている。
石の剣のメンバーの報告とすれ違ったのだろう。
連続した危険な戦いが続いた以上、無茶は出来ない。強力無比な相手との戦いは万全な態勢で挑まなければならない。だからこそジョシュアはあそこでクライヴの顕現を止め、自ら彼を守ろうと幼い頃に交わした誓いそのまま兄の前に出たのだから。
それが父親でもあるエルウィン大公の望みでもあったと知ったのはつい此間のことだ。
少し身じろぎしたジルが様子を窺う為に顔を上げようとしていると考えたのだろう。
クライヴは小さく頭を振り固く彼女を放そうとしない。
「もう…」
「トルガルがいる」
声を小さくしてそれだけのやり取りを終えるとまた3人の間に静寂が続く。
相棒である狼が放っている気配から気を緩められないと彼は声に託さずともその考えをふたりに放つ。
(不思議な、感じがするの)
(小さい頃もこんなに距離が近かったことはなかった)
すぐ近くの平原にて王者の中の王者である魔物が徘徊しているにも関わらず。
彼の腕の中にいるとふたりを守ろうとふっと決意を固く定めているその吐息が。
逞しい体とその力強い腕から伝わるあたたかさが。
ここにいるのだと、ここにいて良いのだと。
幼い頃から彼に与えられ与えられてきたものが、その灯してくれる炎が心地良くそしてふたりの意思と決意をより強固なものとし、クライヴ・ロズフィールドという存在そのものを…受け入れるとはこうしたものなのだと心にもその熱意が注がれる。
思い出すのは幼い頃のお互いにあの日まで言い聞かせてきた使命。それは誰かを守る為なのだとあなたと僕から生まれたものだった。やっと再会出来てそれがはっきりとした。
思い出すのはあの丘で私を見つけてくれたあの日。あなたと出会う為に、あなたと一緒にいたいから私はここにいるのだと人でいられた。あなたに抱きしめられてから、微かに動きはじめた私の心、あなたを受け入れてからはっきりとしたの。
懐かしくて愛おしくて、心が引き裂かれるかのように慕わしい、あの日々。
そして。
(それだけじゃない)
(それだけではないの)
こんな形でしか会えなくてごめん、とマザークリスタルドレイクヘッドを破壊する直前に姿を現した理に立ち向かう前に。
傭兵としてマーサの宿へと遣わしていた教団の一員のブレナンからノリスという名のベアラーの男を逃した報告が入り。変わっていない彼のそうした意志を感じる報告に気が付くと笑みが浮かんでいたらしい。
“やはりご兄弟だ。似ておられる”
教団の一員が真っすぐにジョシュアを見つめてそう言い放った。
…実の兄弟だから、だけではない。
血の繋がりよりももっと、大切なもの。あなたがずっと大切にしてくれていたからこそ誓いとなり、目を覚ましてからずっとあなたを守ろうと僕の核として今も息づいている誰かを守ると考えてそして自らあなたが決めて貫こうとしているその意思。
それをまた再会出来て共に過ごしている今この時がほんのわずかだったとしても。
こうしてこんなにも近くで感じられる、僕が人として生きているのだとあなたがいて。互いがあることにただ心から感謝している。
この5年間はずっと辛いことの連続だった。人でいたいと願いながら、あなたとずっと一緒にいたいと願っていた。インビンシブルがほっと出来る居場所になって、私の心は動いていて。
それでも凍り付いた奥底はもうだれも、あなたでも。
そう思っていたのにあなたは踏み込んでくれた。私を見つけてくれたあの日と同じく誰よりも私というひとりの人を愛してくれて。
守るという誓いをジョシュアと違い私は果たすことは出来ない。それでも、あなたと一緒にいる為にあなたを支える。あなたを愛し人として生きていくの。
幼い頃から確かにあったその想いと意思。
変わったとすれば互いに互いが残され、居てくれること。
人として生きていくと自らの意思で決めこの道を歩んでいるのだと自分たちの心に紡いできた拠点の皆と協力者たち、そして運命の支配下にいたドミナントたちとのこれまでの軌跡があるということだ。
(クライヴ)
(クライヴ…)
彼には届いたのだろう、ふたりの頭に手を置き。
「…ジョシュア。ジル」
小さくともしっかりとした呼び声でふたりへ届ける。
泣き出しそうな声色とは違う。愛おしさを込めた、そうしてふたりの想いを受け入れ、背負い。己の核として貫くという優しく温かいそして力強い声色だった。
長いようでほんの束の間の抱擁。
トルガルの放つ気配が緊迫から解かれ。
とっと、と足音を立てないいつもの歩み寄りで3人の元へと寄って来てくれた。
そっと弟と彼女をその腕から解き。
ふたりと顔を見合わせてしっかりと頷いた。静かに立ち上がる。
「行くぞ」
「ええ、行きましょう」
「しっかりと作戦を練り直してからだね」
ふたりが子どもの頃の様にただ守られる存在でなく、彼にとって人として生きていく、そして自らの生き様を貫く誓いそのものへと変わったのだと改めて心に刻んでクライヴはトルガルの頭を優しく撫でお礼を送った後、再び3人と狼一頭で歩み出した。
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